今年の夏、台風10号が気象の専門家も予測できない動きをしたことで、多くの人が夏休みや仕事の予定のキャンセル、変更を余儀なくされました。強い勢力を維持したまま台風が居座った九州地方では甚大な被害が発生しました。見たこともない台風の動きの原因は日本近海の海水温の上昇と偏西風の流れの変化とされます。「南方で発生した台風が日本近海で勢力を弱め、偏西風に乗って速度を速めて日本を通過する」、という台風の定型パターンが崩れつつあります。
一方、台風11号は「スーパー台風」に発達し、中国南部と東南アジアを襲いました。台風に襲われた現地の状況をテレビで見て、多くの人が恐怖を感じたのではないでしょうか。将来、同等の勢力を持った台風が日本を襲うことも考えられます。
気候変動の脅威は様々な形で語られていますが、我々は今まさにその入り口に立っているのでしょう。
人類は技術力によって活動範囲を拡大してきました。かつて東京には湿地帯が広がり、江戸城のすぐ南は海だったと言われます。そこを治水、灌漑、土木工事などの技術で開発しオフィス、商業、居住の空間を広げてきました。我々はこうした技術の力を信望してきましたが、例えば、土木技術は一定の条件下で持ちこたえられる施設を建設しているに過ぎません。条件を超える状況が起これば、構造物が崩壊する、堤防が決壊する、下水が溢れる、ことにもなります。技術を使う際の条件は、50年、100年程度の間に発生し得る過酷な状況を前提に決められています。人類の歴史から見ればわずかな期間の実績に基づいて建設された空間で我々は生活している、と言っても過言ではないのです。
こうした中、我々ができることは二つだと思います。一つは、今ほど技術力がなかった時代に、先人がどのように身を守ってきたかを謙虚に見つめることです。もう一つは、今の生活インフラで気候変動の脅威にどのように耐えるかを考えることです。気候変動の中で人類を守る新たな「技術」を見出すには、自然を抑え込んできた時代とは異なる自然や技術への向き合い方が必要になると思うのです。